エゴマゾでもいいと思えた
私はいわゆるエゴマゾらしく、エゴマゾで野良でいるのはとても大変でした。
エゴマゾ否定派のSやノーマルさんたちからひどい罵りを受けることが多かったです。
マゾは意見を言うな、マゾは従順であれ、マゾは絶対服従するものだ。。など。
そういうマゾさんもいるかもしれないけど、私は違いました。
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私は、パートナーと対等に会話することで喜びを感じます。
下にいたいという気持ちはあまりなく、むしろ私の言うことを聞いて欲しい。
自分の人生は自分で決めたいし、失敗してもいいから自分で考えた通りにしてみたいと思います。
破滅願望もないし、幸せになりたい気持ちがとても強かったです。
私は自分のSMファンタジーを追求したかった。
やりたくないプレイはしたくないし、プレイの内容にも細かい指定があり、ああして欲しい、こうして欲しい、こういう風に言って欲しい、という希望がありました。
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エゴマゾを嫌うSは多い気がします。
私は自己肯定感の低いタイプだったので、エゴマゾでいて、たくさん罵られ嫌われることに、とても疲れていました。
私ってマゾの中でも出来損ないなんだ、と思ったり。
絶対服従にも何回もチャレンジしようとしたけど無理でした。
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なんでこうなったのかなと思うと、、、
私のSMデビューは遅く、生まれて三十年、誰にも願望のことを話せず、胸に秘めてきました。20歳くらいの時、ノーマルの彼氏に話したことが一度だけあったんだけど、笑われ、馬鹿にされ、噂にされました。それ以来、自分の願望について誰にも言えなかったです。
Sと会話したこともなかったし、Sの人が世の中に存在していること、実際にプレイするなんて考えたこともないまま、三十歳になりました。
SMのビデオも見たことがなかったです。
イラマなんて聞いたこともなかった。
どちらかというとSMというよりは被虐的な妄想が好きで、SMが好きなんて思ったことがなかった。
毎日自分の頭の中で妄想するだけの時間が長かったです。そのせいか、とてもこじらせてしまって、独自の方向に発展してしまった感があります。
世の中にSがいると気づいたのが三十歳を過ぎてから、、、
初めてSと会話し、SMというものに触れ、少しずつSMに合わせていくような感じ?になりました。
自分独自の妄想は、独自すぎて、あまり理解を得られないものになっていて、たくさんのSと話すうちに、SMの中にも自分の好きなプレイがあることに少しずつ気づいていきました。
私独自の妄想は、SM好きの人に話しても、「そんなんで興奮するの?」と驚かれ、ちょっと傷ついたり。
Sの人が期待するような話ができないことがコンプレックスになっていました。
Sの人はMが抱く妄想を知りたがりますよね。私はSの期待できるようなことを妄想していなかったんです。(独自路線を走っていました。。)
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パートナーと知り合ってからも、願望をうまく話せず、喧嘩ばかりになってしまいました。
パートナーにはずいぶん酷いことも言ったし、願望もこじらせすぎて、実際にやったらなんか違ったり、それにイライラして暴言を吐いたり、振り回し続けました。
パートナーはそれでもいつもそばにいてくれて、私の願望を全肯定してくれて、かなえようと頑張ってくれました。私が嫌がるプレイはせず、私の願望をかなえるために、たくさん考えてくれました。
エゴマゾなんてだめだよね、、と落ち込んでいても、いいんじゃないか、と言ってくれる。
何がしたいのか、たくさん聞いてくれます。
パートナー探しに苦労していた時から考えると信じられないくらい幸せです。
こんなに幸せでいいのかなと思うくらい。
SMは信頼関係が大事というけれど、信頼関係を築くのってとても大変なんだなと思いました。
私は試し行動がとても多かったと思う。パートナーのことをたくさん傷つけました。
でも捨てないでいてくれた。いつもそばにいてくれた。逃げても何回も追いかけてくれた。
沢山の喧嘩を経て、今では何でも話せて、いつも自分の味方でいてくれると感じられます。
パートナーに感謝です。。